+++Highwayman+++










しょうがない…なんて言い訳が意味を成さない事くらいは知ってる。
でも本当にしょうがないんだ。しょうがない。
大した教育も受けていないし、家は下流階級で毎日の生活で精一杯。
仕事をしても生活費には足りない。家賃の取立てはまた明日やってくる。



「やめろっ…!!返せよ俺の剣!」
「あ、私のウォレットも取られたわっ!!」
夜、街頭の明かりからは離れた暗い細い道。月明りだけが照らす夜のロンドン。
馬車から降りたばかりのマントで体を覆っている紳士が叫ぶ。
「有り難く頂戴します」
一言残して身軽な格好で男は夜のロンドンの奥へと走って颯爽と消えた。
「あのサーベルは私の気にいった高級品だったのに」
残念そうにマントの男は葉巻に火を付けて、妻らしい女を伴って、馬車が止ま
っている家へと入っていった。そこが男の家なのだろう。
窓から明かりが灯っているのがみえる。家の外装からするといわゆる上流階級
なのだろう。メイドのような女が迎え入れた。





夜のロンドン、大通りを外れた路地。男は頂戴したサーベルとウォレットを眺
めていた。サーベルには刃こぼれ一つないと見受ける。
「なかなかの高値で捌けそうな品だな」
そう言って、ウォレットの中身を除くと200ポンド程入っていた。
「ちっ、貴族ならもっと入れておけよ」
舌打ちして、札束を暗闇の中で数える。暗さで数え間違えて、何度もやり直し
た。札束一枚の違いが重要なんて、貴族には死んでも考えられないだろう。
男の名はジャック。ジャック・カッチャー。
下流階級で、生活苦を感じハイウェイマンになった。いわゆる《おいはぎ》だ。
ジャック・ザ・リッパーなんていう殺人狂が近ごろのロンドンでは出現し始め
て、人々は夜道を歩くのを避けている。おかげで同じ名をもつジャックは上流
階級のカモが減り、精神的にも金銭的にもハングリーだ。
相変わらず男は盗んだウォレットを眺めていた。そこへ一人の男が来て、親し
げに話しかけた。
「ジャック、今日の成果はどうだった?」
暗くて男の顔がはっきり見えないが、低い声で背が高いことが分かる。
下流階級、労働者階級の住居が建ち並ぶ一帯に現れたことからも、この男もそ
う高い身分ではないのだろう。男は蝋燭に火を灯した。薄明かりが男を照らす。
百人並みでどこにでも居そうな英国人顔のジャックに対して、男は長身に似合
わない美形だ。そして見に纏っているのは下流階級には似つかない高級品のマ
ントや洋服。
「まあまあかな。リアム、お前今日もあの男の所に行ったのか?」
男の名をリアムという。ジャックはリアムの手に持って居る高級品のグレープ
を見て気付いた。ジャックの目が鋭くなった。
「ああ。まだ反対しているのか?俺たちはこうでもしなきゃ生きていけない」
リアムは少し怒った、聞き飽きたような表情をした。
「俺なら死んでも男の慰み物にはならない。いい加減やめろよ」
そう、リアムはいわゆる売春夫だ。金を持て余す上流階級に身を持って尽くす。
そうすれば生きていくだけの金を得られる。リアムの容姿はそれをするには有
利なものだ。ジャックはリアムにそれをやめさせたかった。
「ハイウェイマンのお前が言える事なのか?」
リアムは少し抵抗した。本当はそんな事よくないとは分かっているのに。
「ああ言える。売春婦の住居街に居るビッチ野郎と同じじゃん」
ジャックは少しキツい事を言ったと思った。と、同時に自分にはリアムにそん
な事を言う権利がない事も知っていた。自分も犯罪者だから。
「悪い、言い過ぎた。俺が言う権利ないな」
ジャックは世歩きをする金持ち貴族が減った事でイライラしているのだ。
「分かっているんだけどな、俺たちも」
「ああ。しょうがないなんて言い訳は意味ないのに」
実際に全ての下流階級の人がこのように副業をしているわけではない。それを
分かっているのに、やめられない。リアムは頭を抱えた。
「娼夫なんて…やめたいけど。俺だってプライドを捨てても生きたいんだ」
そう言うリアムには、ロンドンの占い師との間に子どもが一人いる。その子の
為にも、生きなければならない。占い師の身分も娼婦並に低いのだ。
「血なんて、最低だな。生まれた瞬間に身分から将来まで決まるんだぜ?上流
階級の奴等はどれだけ暇を持て余してるんだ。ティーパーティーとかしやがっ
て。俺たちにそんな余裕は無いのに」




だからジャックは上流階級を狙うのかもしれない。それでも被害届けはポリス
に出されているので、見つかれば何時かは捕まってしまう。
税金の取り立ては絶対、家賃もあるし一日を繋ぐだけの金さえ大変なのに。
働いても働いても、遠く適わない。遠い遠い世界。
夜会に参加して、笑顔を振りまき、女を物色して楽しむ環境はここにはない。
教育も受けられない。オックスフォード大学なんて夢でも見た事がない。
話す言葉も少し違う。生まれながらの違いがそこにはある。
古い長屋の建物が建ち並ぶ下流階級の居住区では働いても働いてもいっこうに
笑顔はみられない。ただ資本家にいいように扱われるだけ。
ただ働き詰めの毎日が続くだけ。
つまらない毎日が、続くだけ。
そんな物は奪ってしまえばいい。




「明日も男の所に?」
「ああ。ジャックも?」
「多分な。カモがいれば。世の中色々と物騒だからな」
「ジャック・ザ・リッパーのせいだなぁ」
夜のロンドン、イギリス。蝋燭の火を消して二人は家に向かう。
淡い色の月光だけが二人を照らす。




欲と恐怖の渦巻く夜のロンドン。
盗んだサーベルを見るとまた一つ増える嫉妬。
剣をコレクションする余裕なんて、今まで経験した事はない。
グレープだって食べた事ない。
募るのは焦燥感。
そんな物は全て奪ってしまえばいいと思った。
今宵も、そしてまた次の世もジャックは夜のロンドンへ繰り出す。
彼の憎むべき所を全て奪うために。まるで夜会へ急ぐように優雅に。
彼は明日も、明後日も奪い続ける。
胸に叶わぬ憧れを抱いて。



***END***












55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット