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LAST SUMMER





+++LAST SUMMER+++





回を選ぶとその回に飛びますよぉ〜。
10
最後の夏。 私にとって最後の夏。 もう、生き長える事は出来ない。 だから、精一杯生きるこの夏。 私の最後の命、最後の夏。 病院の薬の匂いの漂う、家とは違う空気の中、一人でベッドで寝ているのは、松永鈴音。(りんね) 何故こんな所で寝ているか、それも一人で。 それは鈴音がHIVに感染しているHIV患者だからだ。 そう、つい最近までは普通の15歳の子と同じような普通の生活が出来たのに、 ある日突然、HIVだとわかった。 医者からはもってこの夏が最期という宣告も受けた。 そうして、このベッドに寝ているのだ。 「鈴音ちゃん、お見舞い来たよ★元気??」 「フルーツもって来たよ〜」 学校の友達が毎日のようにお見舞いに来る。 学校では、鈴音が居た事もあって、しっかりとしたエイズの知識を教えてくれ た。そのお陰で鈴音の周りから友達が居なくならずに済んだ。 「うん、まあまあ。発症したのに元気とか聞かないでよ。毎日ずっとここで 寝てるんだから。ありがと、コレ。」 友達の前では笑顔を見せる。 元気な顔を見せれば心配しない。作り物だけど、精一杯の笑顔。 「あははごめん」 ガラっ。 一人部屋のドアが開いた。 そこに立っていたのは長身の少し年上そうな男の人。 「榊くんじゃない。・・・ゴメン、邪魔したね。お大事にね、鈴音!」 そう言って、帰ってしまった。 部屋の中には“榊くん”と鈴音の二人きりだ。 「体大丈夫か?」 “榊くん”は心配そうに鈴音の体を見つめる。 入院前より痩せた鈴音のその体に栄養がしっかり行き届いているのか分から ないくらい、前より痩せた。 「うん。たまにだるいけど」 「無理するなよ。少しの病気で死んじゃうから」 榊俊平はこの榊総合病院の息子だ。金持ちで長身ですらっとしたカッコイイ 美男子だ。 俊平は将来、この病院を継ぐことになっている。親の期待もあるが、自身も それを望んでいる。 「俺が何で医者になりたいかって話した?」 俊平は鈴音のベッドの横に座って聞いた。その手はさっき友達が持ってきて くれた林檎を剥いている。 「鈴音のようなHIV患者を助けたいんだ。まだ、エイズは治らない病気だろ? 少しでもそんな患者に生きてもらいたいんだ。それに、HIVにエイズに効く 薬を作って鈴音のように、もう苦しむ人がいないように・・・」 林檎を剥きながらもその目は真剣そのもので、鈴音は俊平の事を凄いと感心 した。 それだけじゃない。鈴音はそんな事考えた事はない。 HIVだという事で生きながら何時死ぬかを恐れて生きていたから。 だから、そんな俊平が羨ましいのだ。 「頑張って。俊の夢叶えてね。私の分まで・・・ね?」 鈴音の言葉で俊平の目からは涙が溢れた。 「ゴメンな、鈴音。お前を助けれなくて・・・誰よりも一番助けたいのに」 その言葉が胸に突き刺さって、苦しくて、それでも今を精一杯生きて、そし て最終的に死んでしまう鈴音が死んでからも人を傷つけてしまうのが怖い。 ――俊を悲しませたくなかった。   誰よりも大切な人と離れるのは、私も怖かった。   だけど、それはもう避けられないの。   日に日に体が弱っていくのが自身で分かるし、検査にも出ている。   だから、今を精一杯生きたかった。 思い出す、今まで過ごした季節。 早く通り過ぎてしまった日。 取り返すことの出来ない時間。 只、過ぎていく時間―――――― 「今日は元気みたいだから外へ出ようか」 鈴音の担当の看護婦さんの美紀さんが鈴音にそう言った。 ココの所ずっと、ベッドの上の生活だったし、飽きてきたし、外へ出た。 別に歩けないわけじゃないけれど、車椅子に乗せられて、院内の庭を散 歩した。 太陽の光がまぶしい。 庭を散歩する他の患者を見ていると、美紀さんは話し掛けてきた。 「鈴音ちゃんは凄いね」 美紀さんは遠い所でも見るように、鈴音に言った。 「何で?」 何が凄いのか鈴音は全くわかっていなかった。 「私ね、鈴音ちゃんのように大切にされた事がないの。自分をさらけ出 すのが怖くてね。羨ましいの、正直。大好きな人に、毎日お見舞いして もらって、大切にされて。病気でも、自分に自信持っているでしょ」 「違うと思う。自信なんて全然無いんだよ。こうしていても、病気って いうハンディに押しつぶされそうな私が居て、生まれながら美紀サンな んかよりダメって言われるの。だけど、私が死ぬと傷つく人がいる。だ から少しでも元気でいようって・・・」 ――自分の為、それは少しでも長く生きたい。   だけど、何より大切な人と離れたくない。   親と、兄弟と、友達と、そして彼と。   生きられるのなら少しでも長く、喋れるだけの体力を下さい。   神様・・・。   日に日に弱っていく自分の体を見ていくのが怖くて、怖くて。でも・・・   それは本当に避けられない事で。   だから、支えになってくれる人が居ると凄く、凄く心強い。 「鈴音ちゃん、調子はどう?」 「先生・・・うん、大丈夫だよ割と。皆お見舞いに来てくれるから」 担任の若好先生がこの病室に入るのは実はこれが初めてで鈴音は何故か恥ずか しい感じがした。若好先生は随時体に気を配ってくれ、鈴音は嬉しかった。 「クラスの皆も結構心配してるのよ、ああ見えて。貴方に何かあったら 授業なんてすっぽかしてココに来るわよ」 そう言って苦笑した。 「学校・・・行きたいな〜久し振りに。出来るなら」 そう、外を、遠くを見て思う。その姿は本当に寂しそうで、なんとも言 えない。先生も心を動かされた。 「じゃあ、一日の外出許可取ってきてあげる。但し、体育はダメよ」 「分かってるって」 そこに、また外でがやがやと五月蝿い人影が近づいてきた。 『鈴音〜〜〜〜!!!・・・って先生じゃん』 みんなが声を揃えて最後まで言った。(笑) 数えてみるとクラスのほぼ全員が来てくれている。嬉しい。 ココロの底が煮えたぎるように嬉しい。 「今度学校で文化祭あるじゃん?その日鈴音が外出許可とって来れない か?」 学級委員長の正田弘樹が言った。眼鏡をかけていかにもという感じは何 も変わっていない。 「そうよ。ちょっと病院にいってさ。あたしも鈴音と最後の文化祭楽し みたいから」 親友の里香がそういう。 ――そうだね。中学3年、最後の、中学最後の文化祭だね。   それに、私にとってはきっと・・・人生で最後の文化祭。   みんなと過ごしたい。 そんな気持ちが強くなった・・・。 「先生、さっきの一日許可の話、文化祭の日にしてくれないっすか?」 先生は笑って言った。 「分かった。じゃあ院長先生に言ってくるわね」 「きっといいって言ってくれるよ」 「榊のオヤジだしな」 そう、みんなもそして鈴音自身も楽しみでしょうがなかった。 待ち遠しくてしょうがなかった。 「良かったな、文化祭」 「うん」 みんなが一日外出許可の取れた知らせを受けたあとのクラスの人も誰も 居なくなったこの時間に俊平と二人。いつも面会時間最後まで残ってく れる。 ――優しいね。 「いつも思うんだけど、毎日ココに居て勉強しなくていいの?」 俊平はにこっと笑って見せた。 「オレ推薦で行く予定だから。もう先生にそう言われててさ。別に今勉 強しなくてもそこそこ分かるし」 ――なんか嬉しいよ、嬉しいよ。 「落ちないように頑張ってね」 「ああ。分かってるよ。それよりさ・・・文化祭さ・・・一緒に周らないか? クラスの人と周らないときでいいから。」 鈴音そう言ってくれるのが嬉しかった。 ――俊平の隣に私なんかが居ていいのか不安だったから。   エイズ患者が学校でどんな目で見られるのかなんて気にしていないの?   それでも、一緒に隣で歩いてくれるの? 「ねえ、大好き」 鈴音はそっと俊平を抱き締めた。 「オレも」 俊平もそっと。シャボン玉が壊れないように息を吹くように。 それは優しい優しい、凄く優しい抱擁だった。 結局の所、外出許可は取れた。だけど、それは文化祭当日の一日のみで、クラ スの出し物とか、準備には参加する事が出来ない、寂しい最後の文化祭。 だけど、当日に行けるならそれでいい。 そのためにも、少しの風邪も引かないくらい気を配らなければならない。 エイズはつらい。エイズは免疫力が下がる。免疫力が下がるという事は、風邪など の軽い病気でも重くなりがちで肺炎でも死に至るケースがある。 文化祭まではそんな事の無いように。常に気を配らなければならない。 誰も居なくなった病室。窓の外では風邪が爽やかに吹いている。鈴音は笑って いた。誰に笑いかけるわけでもなく、只。 只、嬉しかったから。 それから日が経った。 そう、二週間くらい経ったのだろうか。 「明日は来れるよな?」 そう言うのは学級委員長の正田弘樹。 「うん。っていうか絶対行くよ」 「鈴音!!一緒に周ろうよ。最後の文化祭だよ!」 鈴音の肩を叩いてそう言うのは里香。里香は親友。 ――最後・・・最後なんだ。 「うん。午後は俊平と周るから午前中ね」 学校では榊俊平が毎日鈴音の病室に顔を出すのは有名な話だ。 その俊平は今は来ていない。 「榊って何時も何時くらいに見舞いに来るん?」 数人の男子達は興味本位にそんな事を聞く。 あの頃はそう聞かれるのもうっとーしかったのに、今ではなんとも思わない なんて。 きっと、皆が居てくれると安心するからだ。 「7時くらい。学校が終わると来てくれる」 それを聞くと男子達は笑って鈴音に言う。 「いい彼氏やな」 ――嬉しかった。 それからも、沢山の友達と学校の事、友達のこと、恋バナ等盛り上がって。 鈴音はこの時間が嬉しかった。 ――残されている時間が少ないと、こんな時間をも貴重に思えるなんて。 5時位に来たクラスの友達は俊平が来るまでの時間を全員が一緒に過ごして くれて寂しさを紛らわす事が出来た。 ――本当は寂しい。   本当は・・・寂しい。   だって私が逝く所は生きてる人が知らない世界。   生きるのも怖いのに・・・。   だから、嬉しかった。 俊平が来るとみんなは取りあえず冷やかして出て行った。 ――これも私のことを思ってくれているなんて思うと 本当に笑みが止まらない。 「ねえ、明日だね。俊平のクラスは何出すの?」 俊平は何時も平均1時間はこの病室で過ごしてくれる。 薬臭い、普通の人なら少し居心地の悪い空間。 「甘味喫茶。男がウエイトレス役で女が作ってる。はっきりいってあのコス プレはキモい!!!」 なんて事を言いながら自分で想像して爆笑している。 「俊平は着るの?」 恥ずかしそうに「着る」と言ったときには絶対に見に行かなければと決心し た。 「鈴音。縁起悪い事言っていいか?」 俊平がそういう事を言うのはもし誰かが死んだ時の話か試験に落ちる話とか そういう時。 鈴音は何の話題か自分で察してコクリと頷く。 「鈴音が・・・死んだら、俺も死ぬほど苦しい。でも、俺は・・・鈴音の様な人を 救いたい。だから・・・苦しむ姿も、それこそ吐血する姿も全てこの目に焼き 付けたい。患者を救いたいっていう俺の夢もある。だけど、それ以上にスキ だから。其の姿を最後まで見届けたいから。・・・傍で支えになってやりたいか ら・・・いいか?普通の人がみられる状態じゃなくなった時も俺が傍に居ていい か?」 ――俊平の縁起の悪い話は想像したものとは少し違って・・・。   嬉しいような、何といっていいのか分からない気持ち。   だけど、だけど。   嫌なものじゃない。   どんなに苦しくても、辛くても、痛くても。   傍に居てくれたら乗り越えれそうで。   だから、だから・・・生きたい。   愛する人の傍で少しでも長く生きたいって・・・。   明日を精一杯楽しんで、そしてまた明日・・・沢山の明日を見たいから。 文化祭、当日。 鈴音はきわめて元気だった。 朝から楽しみで、俊平が迎えに来る頃には用意も全て整えた。 少し気合を入れて化粧もしてしまった。 廊下ですれ違うナースの皆さんには笑顔で送り出された。 「今日ホントにコスプレするの〜?」 「やめてくれよ、まじで。俺ホントはやりたくないんだよ」 「委員長?」 「ああ」 「私絶対俊平の女の子姿見に行くから」 「来なくていいよ」 鈴音は久しぶりの学校へ行くのが、みんなに会えるのが楽しみだった。 俊平もそれを察して笑顔だった。 病院を離れるときには、目の前に少し雲のかかった青空が広がっていて、 まあまあの文化祭日和だった。 「鈴音〜〜〜〜!!」 里香と委員長が手を振って待っていてくれている。 それだけじゃない。 クラスのみんなもいた。 ―――みんな・・・ 「鈴音ェ〜・・・久しぶりぃ元気だったぁ?」 「元気なわけねぇだろ」 「うるさい、彼氏クンは黙ってて」 「げ、元気だったよ。みんなは?」 見舞いに来ることのできなかったクラスメイトが鈴音を次々と質問攻め にする。俊平は笑ってそれを見ていた。 「その辺にして。お前ら出し物の準備!!」 「ちっ、委員長かよ」 「わかったよ」 委員長が出し物の準備をするように促すとしょうがないといい、みんなは それぞれ持ち場へ戻っていった。 里香と鈴音は二人で各クラスの出し物を見ていた。 ここは一年生のリサイクル雑貨屋。 身の回りにある廃材をうまく利用したかわいい実用的なものが多い。 「このクリップ実用的じゃない?」 「かわいい〜。これが廃材とか考えられない」 里香とこんなに長い間話すのも久しぶりでお互いに笑顔を浮かべながら、 楽しい時間をすごしていた。 「・・・ねぇ、あれって三年のエイズの先輩じゃない?」 「まじ?ヤリマンなの?」 「かなぁ。マジで引くよね、カワイイのに」 二年生の生徒が鈴音を指差して噂話をした。 大きな声で。 ―――・・・私はそんなんじゃない 鈴音は言いたいことがあったが、口を閉ざした。 その声は確実に耳に届いていた。 「っていうか、あの人彼氏居るでしょ?よく付き合ってられるよね」 「うつされるよ」 「かわいそう〜あの先輩好きだったのに」 ―――・・・俊平はっ・・・ 「うわっ、あの先輩ってアレな人じゃねぇ?」 「まじかよっ。学校来て大丈夫なのかよ」 ―――大丈夫じゃなかったらベッドで寝てるよ 鈴音が口を開こうとしたら、隣で鈴音以上に我慢していた里香がキレた。 「お前ら黙って聞いてれば・・・なんて事言うの?鈴音はそんな子じゃない」 すると周りに居た後輩生徒がにらむように里香と鈴音を見た。 「はぁ?うるせーな。うつるから学校来るなって言ってるんだよ。 聞こえネェのか?」 「やめてっ」 鈴音はココロが張り裂けそうだった。 里香はそれ以上に怒ってそいつらに殴りかかろうとした。 一年生の店の中の商品がぐちゃぐちゃになった。 「やめてっ!!」 「鈴音!!」「鈴音ちゃん」 もし、今ここにずっと里香がついていてくれなかったら、鈴音は死んでいた だろう。自分自身の中にある「不安」と、周りからの「差別心」によって。 誰が手を下さずとも、殺されただろう。 「鈴音!!」「鈴音!!」「鈴音ちゃん!!」 クラスの皆だった。騒ぎを聞いて駆けつけてくれた準備当番以外の子達。 「気にするなよ?俺達はそんな事全然思ってないんだし」 学級委員長の正田くんが言った。それに対してみんなも言う。 「そうだって。あんな1.2年の言ってる事相手にするなって!」 「調子乗りすぎやな!!!俺あいつらボコってやる!!」 何故か同じクラスの不良も来てこんな騒ぎになっている。 「いいよ・・・」 「よくない!!!」 1.2年は、これだけ3年生の先輩と不良とが一気に集まってきて猛反発をする ものだから、怖くなったのか、それともいじめられるのを避けたいのか。も しくわ目を付けられたくないのか店の外へ次々と出て行った。 「鈴音!!大丈夫か?」 売り場の方に知らせを聞いて全速力で走ってくるのは俊平。 ぎゅっ。 息があがっていた。それでも、持てる力で強く抱いた。 「大丈夫だって・・・大丈夫」 そう言って俊平の制服を掴んだ。 本当は大丈夫なんかじゃない。それは良く分かっている。 強がっても無駄。全部分かっている。 「無理するなよ・・・な?」 ふと気付くとクラスの皆が見ていて鈴音は恥ずかしくなった。 「見てた?」 鈴音がみんなにそう聞くと、 「見せ付けてた」 と、意識をしたわけでは無いが声を揃えて言った。少し驚いた。 「ねえ、鈴音。思ったんだけどさぁ」 里香が何か思いついたように言った。 「何?」 「あの、クソうざい1.2年を黙らせるよ!!あたし腹収まらないんだよね!!超 ムカツク。だから、鈴音、ステージに立って。ショーに出て。メインのウエ ディングドレス、鈴音が着るの。最初からそれは決まってたけど。それであ っと言わせてよ!!皆と同じように服も着れて、生活できて、恋もして。自分 達とは何一つ変わらない同じ人間だって所・・・見せてよ」 鈴音は考えた。頭の中で同じことを何回も何回も。 ――もし、ブーイングがきたら?   もし、野次が飛んだら?   もし、ステージから引きずりおろされたら?   これ以上こんな思いはしたくない。   でも、でも。   でも、ほかの人にはこんな思いはさせたくない。   何か出来る事がある。   出来る事がある。   やる。違う。やらなければならない。 そう思って、目を見開いて、自信を持って言った。 「分かった。やらせて!!!!」 ――何か言ってきたらステージの上から「テメェらバカみてーな事で一々一々   五月蝿ぇんだよ」って叫んでみせる。   さっきみたいに泣いて逃げはしない。   逃げたくない。立ち向かいたい。   みんなにも。差別する人にも。そして、自分の病気にも。負けたくない。 そう思って、特設衣装室(教室)へ向かった。 さっきまで曇っていた空が、何時の間にかうって変わって。 日が差し込んでくる。 正田と俊平と里香はドレスを着てメイクをしてもらっている私の隣にずっと 付き添っていた。 ウエディングドレスはクラスメートのデザイナー志望の栄さんが作ったもので、 もともと私をイメージして作ったらしい。 最初から着せるつもりで。 今まで自分でも着たことの無いそれは、多分一生のうちで一度きり。 もう一度も着る事が出来ないと思っていた代物だ。 首元は肩のところまで大きく広がり、白の上にピンクのレースを重ねてある。 メイクはナチュラルであまり派手ではないもの。 素肌を綺麗に見せるメイク。 「きれい・・・」 3人はメイクも衣装も整った鈴音を見て呟いた。 「さあ、見せてやれ」 その綺麗な美しい姿の何処か、何処かに。何か秘められていた。 文化祭も終盤になった頃。 『はぁい、これからファッションショー始めます!司会は私、天月と』 『有森です!!こんなカワイイ娘達の姿見ると思うとドキドキします☆』 ステージの上に居る二人に対して会場からは一斉に笑いが起こった。 既にオーディエンスは超満員。人と人との距離が近い。 もちろん、同学年から後輩まで、そして教師陣までもがその中に加わっている。 ライトが照らし出された。 音楽が流れ始めた。流暢な感じの。 『はい、まずこれはウチのクラスの栄さんが作った作品!胸元がセクスィ〜で しょ?オレマジで司会できねぇ(笑)』 モデルの着ている服は胸元がぱっかり開いていて、成る程色気を強調するよう な作り。ロングスカートにもスリットが入っていて、バランスが保てていて、 尚、色気にゴージャスさを感じさせる。 会場の男性陣は釘付けだ。 『次の作品はウチのクラスのコスプレイヤー浜本幸治の作品!』 天月がそういうと、会場はどっと笑った。 『笑わないでやって下さいよ。ほらきたっ!この作品はハマが今大人気のイン ディーズバンド『キャロル』に提供してる衣装と同じものなんだぜ!』 舞台裏では、そう褒められて顔を真っ赤にしている浜本が居るが、知る由も無 い。 そう、コスを感じさせない衣装。制服を貴重としたものになっている。 『うーん。この服は男でも女でも行けそうだったからクラス1イケメンの樫崎 に着てもらいました〜』 会場からは樫崎に対して「キャー」という黄色い声やら「ヒューヒュー」とい うなかなか今ごろやらないからかいの声があった。樫崎本人も笑っている。 『次は中川茜さんの作品!これはポップな感じに仕上がってますよ〜!』 モデルさんの服は原色を貴重としたポップな色使いが特徴。ミニスカートの黄 色がトップスの赤を引き立てている。 『こういう服、同世代の俺たちには好印象☆会場の女子もこういう格好お勧め だよぉ』 舞台裏。そこにはもうすべての用意が整って最後の見せ場を私は待っている。 顔に不安の色は見せなかった。しかし内心は凄く怖い。 公衆の面前に立つことが。野次を浴びることが。 それに打ち勝つことが。 心臓はバクバクと凄いスピードで脈打っている。 怖い・・・怖い・・・ 「怖くない」 え・・・? 「あたしも怖くない」 「怖いのはみんな同じだよ。ほら、もうすぐ出番だろ?」 と俊平が私の肩を軽く押した。 ――ありがとう。ありがとう。 私はそんな思いでいっぱいだった。 『はぁーい!!ラス3!!コレは中川騎虎さんからの衣装提供です!!なんと! 中川騎虎といえばTVでもお馴染み!誰が騎虎さんとつながりがあるかってぇ?』 『それもまたビックリ、コスプレイヤーの浜本幸治!!』 会場は口をぽかんと開けてる人から「まじでぇ?」と言う人やらで騒然。 『ここまで来ると凄いぞ浜本幸治!服の紹介行ってみよぉ!!』 2人のモデルが出てきた。男と女だ。見る感じペアルックだ。ベルトやら小物使 いが冴えている。 『これペアルックと馬鹿にするのは間違ってますよね?!超ロッカーじゃない? イエローのつぎはぎTシャツなんか素敵じゃない?欲しいなぁ』 『モデルはウチのクラスのベストオブラブラブ、金ちゃんと寛ちゃんでした!』 2人は顔を真っ赤にして挨拶をして舞台裏へ戻っていった。 またモデルが出てきて。 『ラス2!!これも栄ちゃんの作品!小林●子にも負けないきらびやかさ!!』 『このキラキラ衣装をカッコ良く着こなすのはウチのガッコのMrモテ男!榊原! に拒否られたのでぇ、級長〜!!!』 観客からは笑いが起こった。級長のイメージをぶち壊しにしているからだ。 『たまにはこんなのもいいんじゃん?でもこれステージ衣装だよね?!』 級長も顔を真っ赤にして挨拶をして帰っていった。 鈴音と舞台裏ですれ違った。 級長は鈴音に向かって笑いかけて、そして、 「がんばれ!!絶対大丈夫だから!!」 と勇気を与えた。 『いよいよラスト!!ラストはすげぇぞ!!マジで!!』 観客はなにがなにが?という風に興奮気味。 『登場していただきましょう!これも栄ちゃんの作品でウエディングドレス!! それを素敵に着こなすのは鈴音ちゃん!!』 鼓動が高鳴る。 もう扉が開く。 怖いけれど。 でも。 頑張る。 最後の衣装はどんなものだろうかとみんなの視線が私に釘付けになる。 私の心臓は大きく脈打っている。 『ほーら、見て、このウエディングドレス!きれいでしょ?』 観客は歓声をあげた。と、同時に別の声もあがる。 私はそんな声はなるべく聞きたくなかった。 本来なら、このショーも出たくないし、それに、今すぐ耳を塞いで降りたい。 だけど。 そんな弱い自分は嫌だから。 最後くらい、最期くらいは強い自分を見せたかったから。 「あれって・・・あのエイズの先輩だよね、さっきの・・・」 さっきの騒ぎを見ていた生徒は騒ぎ出した。しかし、さっきとは様子が違う。 「綺麗・・・」 そんな声が会場から溢れた。 さっきまで色々言っていた後輩も、差別した人も、皆が釘付けになった。 それは、今を一生懸命に生きる鈴音を、輝き、色褪せる事なく強く生きようとする 鈴音に心を打たれたからだ。 口をぽかんと開けて見入っている生徒も居る。 教師陣は涙を浮かべている。 私は落ち着いていた。予想外の反応に安心した、というのもあるが、それ以上に・・・。 それ以上に、自分という存在を受け入れてくれた事が嬉しかった。 私は天月に目で合図してもらって、マイクをもらった。 少し緊張したせいか、足が少し、気になる程度に震える。 声も、出ない。 「あたしね、もうすぐ死んじゃうんだ」 会場にざわめきが走った。舞台の裏側に居た筈の、俊平も、里香も、 正田くんまで飛び出してきた。 教師陣も驚いている。 いずれ誰もが辿り着く場所へ、一足先へ行くという私を見て、 泣き出したクラスメートも居る。 泣かないにしても、悲しそうな顔をする生徒が会場に多く居る。 「病院からはね、まだエイズが発症してないから大丈夫・・・って言われた。でもね、 あたしには分かるの。もう発症してるって事が。日に日に体が弱くなってきて、 毎日微熱があるみたいにだるいの。じゃなきゃ、感染してない私が入院なんてする訳・・・ ないじゃない。ごめんね、楽しい文化祭台無しにしちゃって。でもね、コレだけは覚えて おいて欲しいな。松永鈴音って女が、精一杯生きてたって事を」 里香は泣いている。私が立っているステージからでも分かる程号泣している。 俊ちゃんも涙を浮かべている。 みんな、しんみりしている。 そんな中で声が沸いた。 「わすれねぇよ!!だから生きろよ!」 会場に収容している人数が多すぎて誰が言ったかはわからない。 だけど、それにこだまする様に皆が声をあげ始めた。 嬉しくて涙が流れた。 舞台用のメイクも涙ですっかり取れてしまった。 「ありがとう」と言って、ステージの裏へと入っていった。 会場の感動は覚めてない。 ステージの裏に行くと、そこには沢山のクラスメートが居た。 涙を流している。 「鈴音、頑張れよ」 「長生きするんでしょ?」 中には初めて喋りかけられた子も居る。 嬉しくて、嬉しくて。 今までで、これからも、生きていて一番の笑みで笑った。 しかし、病魔は既にこの後笑えない程に鈴音の体を蝕んでいく。 時間がまた経過して病室。 もう空は暗くなってしまい、病院の前を見れば、その通りに子供はもう居ない。 鈴音はもう疲れて寝てしまった。 俊平はそれを優しい目で見守っていた。 俊平も感動した。だけど、一つ疑問があった。引っかかった事があった。 ―――鈴音は発症しているのか? そんな事を思いながら、俊平は鈴音の為に飾られた花の水を替えた。 すると、ドアが開いて人が入ってきた。 白衣を着ていて、胸にはバッチ。俊平は驚いた。 「親父―――・・・」 榊総合病院院長の俊平の父は鈴音を見て、俊平に問う。 「いつも、ここに居るのか?」 院長の父親は忙しいため、あまり口をきかない。だから、今のは久しぶりの会話で、 少しぎこちない。 「ああ」 「付き合ってるのか?」 「ああ」 俊平の心の中は荒れていた。 聞きたい。 だけど、聞いてしまったら・・・。 「俊平」 院長の父親は俊平に向き直って、神妙な面持ちで喋る。 「話さなければならない事がある。院長室へ来い」 夜の院長室。正直、この部屋に入ると妙な威圧感を感じる。 俊平は小さい頃からそう思っていた。 なぜならば、俊平は怒られるときにしかこの部屋に入った事が無い。 家で会う機会の無い二人は、ここで「家族」をしていたからだ。 「話って何だよ」 俊平の胸は高鳴っている。 ――悪い結果は聞きたくない 院長、いやこの部屋では父親と言ったほうがいいのだろう。俊平の父親は俊平 の肩を持って言った。 「まだ発症はしていない。だけど・・・体が弱ってきている。いつ発症するかは分 からない」 重い、重い空気が流れている。俊平は口を開かずに、机の上のファイルを手に とって見ようとしたが、それは患者のカルテのファイルで、父親に止められた。 俊平は何かで気を紛らわせたかった。 「でも、お前だって知ってたんだろう。いつかは彼女・・・鈴音ちゃんだってお前 だって死ぬんだ」 父親は俊平をなだめようとしてこの言葉を発したが、俊平は父親を振り払い、突 き飛ばした。父親は机に体をぶつけて少しよろめいた。 「だからって・・・こんな早くなくても・・・まだ、まだこんなに若いのに」 俊平の目には涙がたまっている。 「死ぬなんてねーだろ・・・」 父親は椅子に腰掛けて俊平を見た。 「鈴音ちゃんが一番辛いんだ」 「?」 「お前じゃなくて鈴音ちゃんが一番辛いんだよ。お前は・・・何をしたらいいのか 考えてみろ」 ――そんなのは考えなくても分かってるよ 「でも俺に出来る事何か何もないような」 「てめーは馬鹿か。見損なった。お前には鈴音ちゃんにつく資格が全くねぇ」 ――じゃあ何すればいいんだよ!俺には病気なんて治せねぇよ 「お前に病気なんて治せる訳ねぇんだよ。傍に居てやるだけでいいんだよ。お 前が居るだけで鈴音ちゃんは元気になるんだろ」 ――俺が一番しなくちゃならない事 「ああ、そうだった。それ位なら言われなくても分かってるよ」 ――鈴音の傍に居る事 「お前が鈴音ちゃんを支えるんだぞ。死ぬ間際でも離れたら許さねぇ。好きなら」 「当たり前だろ。そんなの、鈴音の前で誓った事だよ」 楽しかった文化祭の雰囲気はあっという間に過ぎ去ってしまった。 もう季節も半そでの時期から移り変わろうとしている。 「ねぇ、不思議だよね。この夏が最期って言われてたのにまだ私は生きてる」 鈴音は看護婦の美紀さんと話していた。美紀さんは少しだけ反応に困ったが笑 って言った。 「そうね、鈴音ちゃんが頑張ったからよ。生きようと思ったら、次の、その次 の夏だって越せるかもしれないでしょ」 美紀の言葉は優しすぎて鈴音の胸に突き刺さる。 「うんうん。思ってももう叶わない。自分でも自分の体がだんだんだんだん弱 ってきているのが分かるんだから。もって今年いっぱいよ」 美紀さんは言葉を返せなくなって花瓶の水を替えている。鈴音にとっては、と ても、とても不自然に見える。 鈴音は外を見た。もう季節は秋。 ――夏を、夏を乗り切ったんだ 鈴音の実感としてやっと芽生えてきた。しかしここから先に待っているのは試 練の日々。 ――乗り越えてやる ゴホゴホッ。 「大丈夫?鈴音ちゃん・・・」 担当の美紀さんが鈴音の背中をさする。 それでも鈴音は咳をし続ける。 「大丈夫、今先生を呼んでくるから」 「肺炎・・・ですね」 「危ないんじゃないですか?」 「ええ。極めて危ない、今の状態だと」 「院長・・・」 「とりあえず、個室に移して」 「鈴音、大丈夫か?」 「うん・・・ねぇ、縁起の悪い話・・・していい??」 俊平は少しだけ嫌な予感がした。 自分が縁起の悪い話をするときは人が死んだり・・・という話だからだ。 何の話をするのかは容易に想像がつく。 「私、もう体が弱っちゃって・・・ゴホッ・・・もう長くは持たないと思うの」 俊平はドキっとした。 「だから、ねぇ俊ちゃん・・・私が死んだら・・・私のこと何て気にしなくていいから、 新しい人を探して幸せになってね」 鈴音はベッドに寝転んだまま、俊平の手を握った。 俊平は黙ったままだった。 ――そんな事・・・できねーよ もう夜は9時過ぎ。面会時間はとっくに過ぎている。 鈴音は個室に移された。 治療に使う器具も増えて、もう誰がなんと言おうと発症した事は明らかだった。 ゴホっ 鈴音は夜、一人苦しそうに、咳を何度もする。 眠れない夜。 いつもよりも両親が頻繁に見舞いに来る。 もう隠しようが無い。 死ぬ事は。 「悲しいですよね」 「何が」 「エイズにさえならなければ、こんな肺炎で命を脅かされるなんて事は・・・」 「そうだな」 俊平は、もう面会時間が普通に過ぎた10時頃に鈴音の部屋に入ってきた。 今日は鈴音の両親も居ないから、何も気を使うことは無いだろう。 鈴音は俊平に背を向け目を瞑って寝ているようだ。 「鈴音」 俊平が声をかけても鈴音は振り向かない。 俊平もそれを期待しては居ないようだ。 「俺さ、お前の事絶対忘れられないよ」 俊平はただ、鈴音の背中を見て語りかける。 「だって、俺は鈴音を見て医者を目指そうと思ったし、今までもこれからも鈴 音以上の人なんて居ないから」 窓の外、外にはもう秋の冷たい風が音を立てて吹いている。 「だから、俺は鈴音が死んでも、生きてても・・・ずっと傍にいるから」 ありふれた言葉だと思った。 小説を読んだら必ず出てくるキレイな言葉、だけど現実味の無い言葉だと思った。 それでも俊平は心からこの言葉を言いたかった。 それだけ鈴音を思っているのだと、言葉にして確かなものにしたかったのだ。 そして俊平は弱弱しい鈴音の背中に布団をしっかりと掛けて部屋を出た。 鈴音はその瞬間目を開いた。 涙があふれるように出てくるのを止める術など無かった。 嬉しいような。 悲しいような。 こんなにも思ってくれる人が居るのに、ただ、死への階段を上るだけで 絶望に打ちしがれているだけで だけど 私には愛するべき人が居て その人を思い続ける事だけが 唯一の楽しみで でも辛くて たった一人 ベッドに潜って 時が過ぎるのを待つのは やっぱり惨めに思いませんか 誰にも愛されないのなら いっそ いっそ 死んでしまえばいいのだと 誰にも暖めてもらえないのなら いっそ いっそ この身など 滅びてしまえばいいのだと 私は存在価値を考える だけど だけど 必要としてくれる人がいる 死にたくないのに 私に他の選択肢などないのに 次の日も次の日も鈴音の部屋には常に沢山の医師が集まって、治療を施している。 友達や、先生はおろか、両親や親友、そして俊平すら傍で手を握る事は出来な い状態が続いている。 それでも、みんなは傍で座ってずっと鈴音を見守り続けている。 鈴音が生きていて、生きようと精一杯頑張っている美しい姿を目に焼き付けて いるのだ。 面会時間はとっくに過ぎているが、いつも俊平は鈴音の傍にいる。 現場では院長の息子という事で黙認されているようだ。 「ねぇ、俊平?」 「ん」 「ずっと、手握っててくれる?」 「いいよ、ずっとな」 細い背中を俊平はそっと抱いた。手は離さない。 「俊ちゃんあったかい・・・」 「鈴音が冷たいんだよ」 「・・・めまいがする」 「おい、鈴音?鈴音?!」 「副作用・・・ですね」 「あと、肺炎が酷くなる一方で・・・」 「もう、医療器具とか外してもらえませんか」 「え?」 「こんな、苦しそうな姿で見送りたくないんです」 「でも・・・これ以上・・・」 「私の子を・・・鈴音を人間らしい姿で送ってあげたいんです・・・」 その夜から、医療器具を取り外し、薬を止めた。 もう天国まであと数歩の位置に来ている。 10 鈴音の顔からはチューブが外された。 それは延命措置をしないということ。 それはもう命を延ばすことができないということ。 死が、確実にすぐそこまで迎えに来ているということ。 毎日家族が見舞いに来て、級友も毎日見舞いに来て、俊平も毎日見舞いに来る。 それでも、皆の希望が叶う確率は皆無。悲しい現実しかそこにはなかった。 病院というのは限りなく現実に向き合う場所だと俊平はいつも思う。 病気が治って笑顔で退院していく患者さん。運び込まれた時にはすでに手の施 しようのなかった患者さん。ここは始まりの場所であり、終わりの場所。 そして、今、たった一人の少女の命がまさに、まさに終わろうとしていた。 俊平は傍で手を握っていた。それしか出来なかった。 でも、しっかりと見届けた。体温が冷たくなっていった。 泣き声が聞こえる。鈴音の両親の声だ。 それでも俊平はまだ手を握っている。約束だった。 ―――ずっと、手握っててくれる? 涙が流れた。泣いた。心の中で声が枯れるくらい叫んだ。 病室はありえないくらいいつもと同じにおいがする。 まださっきまで居た鈴音のにおいがする。もういない。 それでも手を握っている。約束だった。 「俊平」 院長である俊平の父親がそっと肩を抱いて、鈴音から離れるように促した。 鈴音は遺体安置室へ運ばれる。 俊平は見た。人が生きるということを。 今までに、こんなに美しいものは見たことがなかった。 一緒にすごした日々を思い出した。 最後の夏だった。 一緒にすごした最後の夏だった。 鈴音は精一杯生きようとしていた姿が焼きついて離れない。 「重いだろ、人の一生は」 院長である父親が、涙が溢れて止まらない俊平を見て言った。 嗚咽を堪えて返事をした。 「でも、キレイだった」 父親は沈んだ表情の中で少しだけ笑った。 「ああ、そうだろう」 そしてまた時は流れて―― 「しゅんぺぇ!遊んでよぉ〜」 病院の庭、4歳くらいの女の子が白衣を着たまだ若い青年の手を引く。 「こらこら、鈴音、お父さんもう少ししたら診察にいかなきゃならないんだよ」 「え〜、やだ。しゅんぺぇと一緒に遊びたいのぉ」 女の子は白衣を引っ張って精一杯抵抗している。 青年は愛しそうに女の子を見て、手を握った。 「でも行かなきゃならないから、ママと遊んでて?」 「しょぉがないなぁ〜しゅんぺぇの言うことだから」 そう言って白衣から手を離して、ママと呼ぶ人のところへ向かった。 女の子の名前は鈴音、この病院の副院長の愛娘。 白衣の青年は手を振り病棟へ向かう。 ふと、思い出した。 ―――今日は、命日だっけ。鈴音の。 そう思ってもう一度娘を振り返る。そこには元気いっぱいな遊び盛りな鈴音がいる。 空は青々と今日も病院を照らし、散歩をする患者さんは今日も朗らか。 あれからもうかなりの月日が経った。 この傷は、永遠に癒えることはないだろう。 ここは笑顔と泣き顔に出会える場所。 退院する患者さんが新しい人生を始める、はじまりの場所。 別れの場所。 俊平には今ではまだまだ始まったばかりの鈴音が居る。 あの頃、俊平が鈴音に言った事を思い出した。 ―――だって、俺は鈴音を見て医者を目指そうと思ったし、今までもこれから も鈴音以上の人なんて居ないから。 ―――俺は鈴音が死んでも、生きてても・・・ずっと傍にいるから。 振り返れば、手の届くところに鈴音は居る。 君の人生はまだ始まったばかりだよ。 俊平は心の中でつぶやいた。 約束だから。自分にした。 彼女の嬉々とした声が小さく聞こえてくる。 幸せだなぁと思った。 今日は鈴音の命日。 一年でたった一日、彼女のことをずっと考えてしまう日。 きっと忘れない。心の傷。 今までで、初めて失った大切な人を。 今年も過ぎてしまった彼女の最後の夏を、傍に居る鈴音を 今も、思う。 **END** 投票する
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