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青の残像




++青の残像++



目の前に広がるのは青い空だった。それ以外の何でもなかった。
そんな大した理由もなかった。ただ、あの青い空に手が届けばいいと思った。
見下ろせば視界に入るのは広いグラウンド。人はいない。今なら、今なら。
どこまで飛べば、あの青が手に入るのだろうか。考えても答えは出ない。
今、空を舞えばあの人の心で私は永遠の青になれる。永遠の思い出になる。




「ねぇ、あたしのどこがダメだったの?あたしよりあんな生徒を取るの?」
「違うよ、藤原先生…オイ、理恵、話聞けよ」
「そうでしょ?ねぇ、なんであたし生徒とあなたが寝たなんて誰にも言わない
から…ねぇ、ねぇ」
「ごめん。だから、だから俺は…あの子の事が」
「十六歳の子に…?ねぇ、あたし達はもう…」
「だめなんだ。もう。やりなおせないよ、理恵」
「所詮あなたの中のあたしは”藤原先生”だったのね」
「―――――でも俺はっ」
「さよなら、”牧原先生”」 



全てを手放せば楽になれる、そう思った。足元を見ると目がくらつく。下に広
がるグラウンドにはいつものように部活をしている生徒はいない。この胸に思
い残りはない。目の前に広がる青だけが唯一の希望だった。望む世界。
勇気が必要だった。全てを失う勇気。忘れられるための勇気。




「藤原先生のクラスは問題ばかりですねぇ…この前もまた万引きで逮捕された
んでしょう?一人生徒が」
「いじめの問題も耐えないらしいじゃないですか」
「それに成績も伸びないし」
「先生の力量の問題じゃないですか?」
「藤原先生を責めないでやってください!先生の責任じゃないですよ」
「河合先生…なぜいつも庇うのです?」





透き通った世界。不透明なものをすべて取り除いてしまえばいい。
不透明なもの…それは私の存在。実体になれる程強くない、でも完全に消えて
しまえる程弱くない。中途半端なフィルター越しに人を見るような。
下を見ると実体が広がっていた。形あるもの、それがこの世界の全てだった。
「…この思いは実体じゃない、目に見えないから。形なんてないから」
覚悟は屋上へ向かう階段の途中で決まっていた。靴は脱がない。生前のあたし
はそんな靴をしっかり揃える几帳面な性格ではなかったから。遺書は置かない。
これ以上誰かに何か伝えたい事はない。この無形の想いは誰にも渡さない。
「さよなら」
歯を食いしばった。一瞬の出来事だった。足は実体を離れ、体は遮るものが何
もない透き通った空間に放り出された。そして下へ、下へ落ちていった。
一瞬が何十秒、何分にも思えた。体がまた実体へ、地面へとぶつかるまでは透
き通った、透明な、穢れない気持ちでいられた。しかし重い音がして、体が打
ち付けられると、自分にまだ意識がある事に気づいた。頭が軽くなっていくよ
うな気がする。見上げると空虚な青い空。青が灰色にも見えた。赤と混ざった。
「…ったしは、いけないのっ?」
そう言うと、意識はまた下へ、下へ落ちていった。真っ白な世界へ。




「…ぃ、先生。藤原先生!」
病院特有の、薬品の匂い、不快をもたらす清潔な香りがする。白い天井、覗き
込むように見覚えのある顔が並んでいる。毎日私を責める顔もある。
「な…どうしてあたしを助けたんですか?あのまま…あのまま…」
気づいたら病室のベッドに寝ていた。一人部屋でほかの患者は居ない。
「ケガしている人がいるのに、助けない理由がありますか?」
この優しい声は河合先生しかいない。いつも私が責められると一人だけ庇って
くれる優しい先生。でも今日は優しくして欲しくなかった。これはケガではな
い。自分でつけた傷。進んでつけた傷。ケガなんかではない。やっぱりこんな
時でも気を遣ってくれる優しい河合先生。河合先生は私を抱き寄せた。
でも違う誰かが私の手を握っている。誰かは見たくない。目をただ天井に向け
た。手が濡れている。誰かが手を握り、水を零している。誰かは見たくない。
「…んでこんな事したんだよッ、理恵」
「―――?どうなさったんですか、牧原先生?」
手を握っていたのは、牧原先生だった。私の手を強く握り、顔をベッドに埋め
て涙を流している。それには気づいてはいるが顔を見る勇気がない。
「健…それは―――あたしだけの為の涙?」
「ぁたり前だろ」
牧原先生の事はもうあの時に見切りをつけたつもりだった。もう望みは一厘も
残されていないことも分かっていた。それでも少しだけ嬉しかった。
「ふっ、ありがとう牧原先生。もう、いいです」
諦めようとして空を飛んだ。その時にもう見切りはつけた。そして私はまだ青
を手にしていない。まだここに居る。まだ生きている。これ以上辛い事は他に
探しても見当たらない。だからもう疚しい思いなんてない。顔を見る事位では。
今度はしっかりと牧原先生に顔を向けて、少しだけ辛い作り笑いをして言った。
「ありがとう」
そこに居るのはまぎれもなく完全に“牧原先生”だった。




先生方が帰った後の病室、私はたった一人でベッドの上に取り残されていた。
沢山の管につながれて生きている。何をするでもなく、ただ前を見ていた。後
ろを向いてはいけない。長い道をただひたすらに歩くのだ。辛くても。
病室の扉が開いた。そこにはさっきまであった優しい顔があった。
「河合先生…まだ帰ってなかったんですか?」
河合先生は手にいつも飲んでいる缶コーヒーを持ってドアの前に立っている。
「そんな藤原先生を残しては帰れませんよ」
少し肩にかかりそうな髪を掻き揚げて微笑む。彼は私の前でいつも優雅。
「あなたのせいですよ、河合先生」
そう責めても河合先生は優しい目で見る。いつも、いつも。今も。
「責任取ってくださいね」
そう、彼はいつも髪を掻き揚げてそして優雅に笑む。口は優しさを紡ぐ。
「もちろんですよ」
前を向かなければならない。明日になればまたいつものように窓の外にはいっ
ぱいの青が広がる。一度は失った青、再び手に入れようと空を舞った。
後悔はしていない。その代わりにもっと優しい青を手に入れた。
後悔はしていない。これは鎖だ。私だけの青を繋ぐための。
気づくのが遅かった。本当に優しい青はいつも辛い時には手を差し伸べたのに。
優しさの舞う腕の中で優雅な笑みを浴びながら、青の鎖を握ってもう離さない。
何もない背景を負って一筋の光を求めて、それでもその姿は酷い位透明な青。
だって、まだこの世界にあたしの居場所は残されているから。


**END**












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